phantom buLLet

自由帳

拘り、信条、その他色々

※筆者は国語力諸々に致命的な欠陥があります。まとまりのない内容ですが読むのであればどうかご容赦を。


ポケモンに限らず多くのキャラゲーで問われ尽くしたかもしれない問題ですが、

所謂「マイナー」について個人的な意見を。

(「マイオナ」という言葉自体が多くで正しい使われ方をしていないのでここでは使いません)


ポケモンのレーティング対戦は単純に強さを競い合う場としてだけ機能しているわけではありません。

強さを究めるべく、必要以上の拘りを持たずメジャーなポケモンを開拓して試行錯誤を繰り返す人。

タイプ統一や好きなポケモンなど、個性に富んだスタンスで独自色を放つ人。

色々います。


両者は絶対に相容れない存在とよく言われます。事実この2つは時として対立する事もあり、それは度々繰り返されてきました。


改めて問います。ポケモンというゲームの在り方に於いて、どちらかが間違っているのでしょうか?


多くの人はNOと答えると思います。僕もNOと断言します。


ではもう一つ。

この中に、コンテンツとしての不要物はあると思いますか?


僕はどちらも等しくこのゲームに必要な立場だと思います。


マイナーに付けられる負のイメージは

「〇〇を好きな自分に酔っている」

「勝てない責任をマイナーに押し付けるために予防線を貼っている」

などといったところでしょうか。ごく一部にはそんな人もいるでしょうかね。残念な事に。

その拘りが結果として勝ちから遠ざかる事に繋がっているケースの方が多いのは否定のしようが無い事です。


ですが、「強さの追究」と「拘り・信条の追究」は必ずしも対立する要素ではなく、どちらかを選択する事はもう片方を否定するのとは決して同義ではありません。

言い換えれば、「拘る事は舐めプを意味するのではない」ということです。


ちょっと長くなりますが、例えの話を。

将棋には戦法の流行り廃りがありますよね。

将棋に存在する戦法は大きく分ければ居飛車振り飛車。そしてプロ棋士にも「居飛車党」「振り飛車党」「両刀使い」みたいな括りは漠然とあります。

昭和50年代に台頭した「居飛車穴熊」という居飛車のとある戦法はそれまで当たり前に使われていた振り飛車の諸戦法に壊滅的とも言える被害を与え、激減させました。プロ間でも当然ながら振り飛車党は日に日に減り、多くは居飛車党に転向していきます(仕事ですから、勝てないと収入は当然減ります)。俗に「振り飛車冬の時代」と言われファンの間では絶滅の危機も囁かれましたが、そんな時代でも振り飛車党は確かにいました。その内の1人(厳密にはこの人は純然な振り飛車党ではなく、「振り飛車メインの両刀使い」ですが)は振り飛車で圧倒的脅威の居飛車穴熊に対しても一定以上の戦果を挙げ、死ぬまで第一線のA級に在り続けました。

そして平成初めごろに入り、振り飛車党の中から居飛車穴熊に対する対抗策を編み出す棋士が次々と現れ、振り飛車は息を吹き返しました。


将棋も競技ですから当然、強さの追究があります。プロは職業ですからその傾向は寧ろポケモン以上に強いかしれません。ですが、もちろん棋士の方々にも独自の拘りなどがあり、ファンに「魅せる」事に人一倍力を入れる人もいたり、様々です。信条として居飛車一本を貫く人もいますし、その逆も然り。


振り飛車の未来を切り開いた当時の棋士が単純に信条のみで動いてたのか、それとも確かな強さの裏打ちがあったのかは分かりませんが、結果として将棋界には多様性がありますよね。


対戦ゲームは勝ちに近付く解答が部分的には数多存在しますから、抗えず廃れる戦法などもあります。将棋にも絶滅した戦法はあるし、ポケモンにもほぼ絶滅した並びや型はある。殆ど自然の摂理に近い物ではあるので、それが「間違っている」とは言えないでしょう。そもそも、ゲームが最終的にどう在るのが正しいのかなんて知る由もない。しかし、逆に多様性を否定する理由もない。

様々な思いや信条に彩られた色取り取りな世界を謳歌するのも楽しみ方の一つです。


ここまで書いて見返してみると気が付けば当たり前のことしか書いてませんが、見失いかねない事でもあると思うので確認材料として。